情熱大陸


2008年8月3日、“情熱大陸”(毎日放送)というテレビ番組で私を取り上げて頂いた。しかし、そこに映されていたのは、海の手配師でもなく、ベンチャー企業の社長の姿でもなかった。
そこには、子供の頃から海が大好きで、日暮れ時どころか、大人になってからも海から上がることが出来ない、「石垣幸二」そのものが映っていた…。
密着取材は5月から放送直前の7月までの3ヶ月間に亘った…。百数十時間という途方もないフィルムを回し、ドイツのニュルンベルクで開催された、世界最大のペットショー「インターズー2008」(1年に1度開催)、インドネシアでの生体確保、フィリピンへ面白い生物を探しに行くなど、海外出張にも同行し、国内でも、北海道、名古屋と飛び回る私に密着。果ては、家庭の中までカメラがついて回った。取材を受ける前、関係の方から「トイレにまでついてくるよ。」と言われ、「そんな馬鹿な。」と高をくくっていた私だが、本当にそんな感じだった。
 

又、取材を受けた3ヶ月間は、海外、国内と飛び回る出張が多く、大学から講義をたのまれるなどし、不思議なほどテレビ的に絵になるような仕事が多かった。私自身、テレビ取材は初めてではなかった。製作側とすれば、いわゆる「絵」になる映像が欲しいに違いない。と決めつけ、情熱側のスタッフもきっと喜んでくれるし、会社としてもいい宣伝になる。と、気持ちの中で勝手に盛り上がっていた。
 


しかし、そんな手前勝手な高揚感とは裏腹に、取材スタッフは淡々とカメラを回し続けた。演出などに関しての要望は一切なく、時折質問を投げかけてくるのみで、カメラが回っている事を忘れてしまう事もしばしばあった。 それぐらい、ナチュラルな密着取材、正にドキュメントだった。

そして…。8月3日の「情熱大陸」の放送日、いつものテーマ曲、そこに映し出された私の顔、私の名前、いやがうえにも私の心は小躍りしていた。 番組が始まった…。会社の紹介から「海の手配師」と呼ばれる所以…。


ドイツの「インターズー2008」にて、業界業者の方々が評価をして下さっている生の声、高齢者の施設に水槽設備を設置し、その水槽に泳ぐ魚たちを見て、「竜宮城のようだね。」「しばし茫然とするね。」という、お年寄りの声に笑顔で応える私…。それらが日々の積み重ねであるという、会社での姿勢、取り組みをうまくピックアップし、「スーパーバカになれるかどうか。」「宝物探しだよ」など、言葉の切り出しも絶妙だった。しかしそれは、前半の10分弱の間に、一気に凝縮された形で編集されていた。


この後、どう展開していくのだろう?

取材を受けた私が言うのもなんだが、そんな素朴な疑問が頭をめぐった。
そして、中盤から後半にかけては、ある水族館の依頼を受け、希少種である「シノノメサカタザメ」の捕獲にインドネシアに向かい、奔走する私の姿がメインとなっていった…。

現地に飛んだ私に、2m近いシノノメサカタザメが偶然にも捕獲されたとの知らせが入る…。すぐに駆けつけ、状態を確認する。現地漁師の乱暴な扱いに瀕死のシノノメサカタザメを、周囲の反対を押し切って引き取る。水槽の中で俄かに元気を取り戻した姿に、我を忘れカメラを持って水槽に入り、「やつは俺を見ていたよ。」と興奮気味に語る…。そこから映し出される映像の中には、一切の妥協や計算は微塵も感じられなかった。
 

そして、そんな中に投げかけられた取材スタッフからの一つの質問…。

「魚を人工で作った器に閉じ込めることに抵抗はないですか?」

そんな質問に、条件反射とも言うべき驚くほどのスピードで「それはないです。」ときっぱりと答えていた。映像からは一片の躊躇も感じられない。

冷静になって考えてみると、水族館・活魚関係の仕事に従事する人にとって、この質問は、永遠に繰り返される“何かひっかかる壁みたいなもの”なのだ。
この業界は、“好きだから”が理由でこの仕事を始めたという人がほとんどだ。
日常もその狭間で問いかけながら仕事をしている。
私が「ない」と答えた心情を言葉に変えるならば、「私が感じている素晴らしいこの海の世界を、みんなにも感じて欲しいんだ。」の一言だろう。

それは、子供の頃、海に潜って何かを見つけたとき、父親や母親、友達や知り合いに、「聞いて!聞いて!見て!見て!」と猛烈アピールをしたのと同じなのかもしれない。
意地悪な質問ではあるし、受け止め方もそれぞれだと思う。
しかし私は、躊躇せず「ない」と答えた自分が少し誇らしくもある。少なくとも、今自分が生涯をかけている「仕事」に対し、自分の心の中に迷いも嘘もないという事にはなるからだ。きっとこれからも「ない」と答えるだろう。

その後、フィリピンから帰国した私がシノノメサカタザメの状態を確認する電話のシーンに場面は移った。電話の向こうからは、一時は快方に向かっていたが、ロープできつく結わえてあった尾の傷が悪化し、残念ながら亡くなってしまったとの知らせが…。
残念な知らせに、私は空ろな目で答え、がっくりと肩を落としていた。

その時の言葉がこれ…。

死ぬっていうのはやっぱり…。 力落ちるね、正直言って。 自分が手で触れたとか 状態チェックとかでそうしてると、 やっぱ、愛情があるのよ。 (失敗することは、当然…) 失敗は常にありますから…。 その時に止めちゃえば、 それはもう普通の人。 だからヘコんでる場合じゃないですよ。 …って言ってヘコんでるんだけど。


ただ海や魚が好きな男が「仕事」との狭間で揺れている様が良く出ていたと思う。そして最後は、地元伊豆の海で糸を垂らしながら、ハナハゼを釣っている場面となる。まったく釣れない状況に、「意外に少年とかが釣れる方法を知っているんだよね。その子と契約しないと…」とボソリと呟きながら去っていく…。
それは、まったく思いがけない内容だった。

正に、私にとって「日常のストーリー」であった。
しかし放送後、嬉しいことに、「感動した!」という言葉をたくさんの人たちから声をかけて頂いた。
私の日常に感動してくれた人がこんなにもいる…。
私は改めて、「感動」の中に身をおいて仕事をさせて頂いている幸運に感謝した。
 

「情熱大陸」は、そんな幸せを客観的に感じさせてくれる、忘れられぬ大事な人生の1ページとなった。

番組を見た幼馴染みから「がきも変わんねえなあ。」と言ってもらった…。
その一言が気恥ずかしくも、妙に嬉しかった。